感動を生み出す。
日本的なものを継承し、発展させる感動。生き生きとして消えることのない感動を、観客と出演者に提供すること。古典芸能・J-POP・伝統工芸、ジャンルを超えて日本の感動を表現するもの、すなわち情感あふれる表現、繊細な技巧、意表を突く演出があふれ出るイベント(コンサート、ステージ、展覧会)を目指す。我々が生きていく、その心の原風景を生み出していく感動。人間の質感、テイスト、クオリアを織りなす感動。
事に当たっては、知恵をかき集め、勇気を振り絞り、率直に心を陳べる。人に交わっては、権に媚びず、世に阿らず、俗に堕ちず、卑しい思いは恥と知る。顧みては、行きがかりこそ己そのものと観じ大切にし、望んでは、ただ一燈をたのんで暗夜をたどる。
1.個別、個性的なものだけが永遠であり、尊ぶべきものである。生命は個に宿る。企業にも、社会にも、世界にも、概念にも、生命は宿らない。また、他と違うから個が存在する。現今風潮の「グローバル」は取らない。もし個を捨てて、世界共通に向かえば、文化も風俗も言葉も失い、つまるところ、金勘定だけとなる。金は必要であるが、目的ではない。*注①
2.風景をいつくしむ。何をするにしろ、風景すなわち環境や空間が決定的に重要である。生命は、思想よりも経済よりも、風景に反応する(紺碧の海原を絶壁から望むとき、日常の僻事は既に蒸発している)。風景は思想によって解釈される存在ではない。風景が思想を生み出すのだ。
3.ライブにこだわる。人の一生を貫く鮮烈な記憶は、すべてライブである。テレビやインターネットでは慄然とする記憶は残らない。クローズアップはなくとも、ライブでは主客が、時と場を共有する。そこで得られた生命律動のダイレクトな共鳴は、深く心に刻まれる。そして、時が経ってもそれは瞬時によみがえるのだ。イベントによって感動の記憶が、一人一人の日本人に日本文化を心底、慈しみ、支えていく気概を育んでいく。*注②
4.緊張と品位に貫かれる。結局、人間が粛然とするのは死と対峙するときであり、我々の生が無限ではない、と思い知るときである。およそ文学も芸術も有限にしか生きられない緊張感が前提で、成り立っている。そして品位とは爽やかな、しかし死の宿命を前提とした緊張感である。出演者も、客も、この風景も一期一会だから、イベントは品位に満ちたものでないといけない。*注③
5.率直さを失わない。世の風潮や権力や虚名に靡かず、感動したものとしないものを峻別する。玄人の目はごまかせても、素人の目はごまかせない、という事がある。我々は業界人ではないし、業界人のまねをしない。永遠に素人であり続ける。素人だから率直になれるし、率直さは、たやすく勇気と情熱に変化していく。
6.行きがかりを大事にする。判断については、マーケティングとか、トレンドとか、データとかを賢しらに論ずるのではなく、自己の行きがかりに従う。行きがかり上、至当と思われる道が正しい。行きがかりというと主体的ではない、と思われがちだが、自己と他の思いがねじりあって行き着き、具現化したのが行きがかりであるから、それは自分そのものなのだ。行きがかりこそ、最も主体的であり、自然な選択なのだ。
7.文化的なことに従事しているのだから、我々も文化的な行動をする。文化的な言動とは、言葉を巧みにし、容を整えることではない。文化的とは潔く、出したり引っ込めたりしないという事であって、やせ我慢をして、「こんなものはいらないよ」とか「いいから持っていきなさい」という事である。
金はあったりなかったりだけど、ハートは常にあるのだ。*注④
8.なるべく大騒ぎをする。ライブ・イベントには大きなフェスティバル的(祝祭性)要素があるのが、映像や印刷やインターネットと大きく異なるところだ。なるべく大騒ぎをする、ひっそりとはやらない。メディアやポスターを用いて告知・パブリシティーをすることは当然として、会議や打ち合わせも執拗に行って内輪からも盛り上がっていくとは、成否にかかわる大事なポイントである。